【雑記】Especiaの卒業ロスを生きるということ
アイドルは卒業する。もちろん解散もするが。
Especiaの第一章が終わった。
アイドルの歩みを章立てで表すことに、アイドルと物語性の強い関連が窺うことができて興味深いが今は措く。
それにしても、あれほどの出来事が起きたというのに、相変わらず世の中は気味が悪いぐらいに正常運転を続けている。メンバーの卒業に途方に暮れる人々と世の中はまるで全くの別世界であるかのように。
もちろん第一章が終わったということは、第二章が始まるということでもある。しかし、第二章という未来を想像し、なんとか気持ちを切り替えようと努めることは、ある意味ではたやすい。そうではなくて、この胸の中の違和感と絶えず向き合いながら過ごしていくべきではないのか。第二章の新たな物語に参加するかしないかには関わりなく。
なぜこうなってしまったのか。ほかにもっと良い選択肢は無かったのか。こんなことを今更いくら考えてももはや卒業という事実は揺るがない。確かにそうだ。そんなことは考えず、第二章が始まったらその瞬間ごとに全力で楽しめばいい。「正気じゃいられないくらい踊ろうよ手遅れになったっていい」。
しかし、本当に「手遅れになったっていい」のか。私たちにとって、そして何より、人生を懸けていたはずの彼女たちにとって。
だからこそ考えてみよう。Especiaのことを、アイドルのことを。別にもう終わったことは変えられないし、未来を創り出すなどという大層なことも恐らくできない。それでいい。もちろん、アイドル全体にまで考えが及ばなくてもいい。Especiaのことだけでいい。脇田もなりのことだけでもいい。
いや、考えてみようというのは、恐らく間違いだ。もし自分の心の違和感をまっすぐ見つめてみれば、何か考えざるを得ない人は多いはずだ。その違和感に駆られて、自分の出来るところまで考え抜くこと。別に答えが出なくてもいいし、卒業という過去をせめて未来に少しでも生かすために考えるのでもない。そもそもこうして考えることそのものにこそ、意味があるはずだから。
今まで撮った写真や動画を観返すのもいい。ライブレポートを書くのもいい。メンバーのブログを読み直すのもいい。でも、それに加えて少しでも考えてみて欲しい。少なくとも私にとって、考え抜くということこそが、卒業ロスを生きるということだ。