アイドル批評空間

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・・・・・・・・・2ndシングル「Tokyo in Cage」について

    現在「アイドルと芸術」展で展示されている・・・・・・・・・(以下、ドッツと表記)の2ndシングル「Tokyo in Cage」を鑑賞してきました。主な感想は3つ。1つ目と2つ目は短くて、3つ目は少しだけ長くなります。では1つ目から。

    と思ったけどこの曲の説明をしていなかったので、まずはそこから。簡単に済ませると鈴虫の入った虫かごが5つ置かれてます。それだけです。では、本当に1つ目の感想から始めていきます。

    ドッツの1stシングルは72分もあって、その大半がノイズだったことで少し話題になりました。そのとき、ノイズを聴いていることで日常の何気ない音までもが曲になるのだ、ということを以前の記事で書きました。そしてドッツのコンセプト上、抽象的な・ちゃんがまずあってそれがあるときは女の子、またあるときは楽曲、さらにあるときには…と様々な形をとる、ということになります。だから、日常が曲で囲まれること=日常に・ちゃんがあふれることであり、こうして都市は・ちゃんによってハックされていきます。

    2ndシングルの虫の音もノイズと同じです。この曲を鑑賞した後で虫の音を聞いたら、・ちゃんのことを思い出さずにはいられなくなるでしょう(まぁ、今日自分がいた間虫は一度たりとも鳴くことはなかったのですが…)。ちょうど今は虫の音がよく聞こえる季節ですし。

    2つ目。まず曲の説明から引用します。すなわち2ndシングルとは、「音楽を『育てる』、あるいは音楽が『死ぬ』、(生殖活動により)『継承される』ことを体験できるサウンドインスタレーション」である。これってまさにいろんな楽曲ができていく過程じゃないでしょうか。1つの楽曲はいろんな要素(=鈴虫)から成っている。そしてそうした緒要素の幸福な出会いは新たな楽曲を生み出し、継承されていく。ここで大事なのは、新たに生まれた楽曲(=子供)はけっしてゼロから生み出された「オリジナル」なものでは決してなく、むしろ一定程度は(子は両親から半分ずつ遺伝子をパクってきてるので)「パクリ」である、ということです。もちろんこれは何でもある程度はパクリなんだから曲の良し悪しなど議論しても意味ないという話ではなく、むしろそうだからこそそれは幸福な出会いによって、作り手の真摯な取り組み=愛によって、生み出されたものでなければ人の心に響くことはあまりない、ということです。

    このように、この2ndシングルは1つの楽曲でありながら、楽曲が生まれては消え、また生まれて継承されるといった過程をも表現しています。いろんな楽曲の中の1つでありながら、同時にあらゆる楽曲が生まれては消えていく流れを表してもいる。女の子の形をとった・ちゃんが東京の一部でありながら、別の水準では東京そのものでもあるように。

    最後に3つ目。虫かごの数は5つでした。現在女の子の形をとる・ちゃんのは基本的に5人なので、この虫かご一つ一つを女の子の形をとった・ちゃん一人一人と見なすことは当然許されるでしょう。このように見たとき、この2ndシングルをドッツのコンセプトが体現されたものとして解釈することが可能になります。どういうことでしょうか。

    虫かごとして表現されている人間の形をとった・ちゃんのうち誰か一人を推すということを考えてみます。この場合、一人を推すことは、虫かごという「箱」を推すことと等しくなります。つまり、単推し即「箱」推し

    このままだとただの言葉遊びをしただけなのでもう少し説明を。そもそもドッツはメンバーの名前が全員「・ちゃん」なので、「・ちゃん推し」とだけ言えば、それは個々のどの・ちゃんであるかは最終的に確定できないので、「・ちゃん推し」という発言がたとえある特定の女の子を指していたとしても、やはりどの・ちゃんにもそれは当てはまるのだと考えることができます。とはいえ、この意味での単推し即「箱」推しは、・ちゃんのニックネームを使ったとき、あるいはどの・ちゃんであるかを特定できるような情報を持ち出してきたときにはもちろん成り立たなくなります。しかし、コンセプトを踏まえれば、もっと強い意味での単推し即「箱」推しが成り立つはずです。しかもその時「箱」が意味しているものは全く別物になっています。一つずつ確認していきましょう。

 ・ちゃんを見るとサングラスをかけていると言いたくなりますが、コンセプト上はあれが素顔であり、じゃあなんで素顔があんなことになっているかというと、一人の・ちゃんにつき10万人もの東京の女の子たちの個性が集まることで、というか集まりすぎることで、個性が表現しきれなくなっているという説明がされます。とはいえ、この10万という数は東京に住む女の子の数から便宜上出てきたものであって、原理的には何人であってもいいはずです(10万人がいいなら別に20万人だってオッケーだしもっと数を増やしても当然構わないはずなので)。

 つまり、・ちゃんは文字通りの意味で「誰だっていい」のです*1。ということは、人間の形をとったある一人の・ちゃんは、他の四人の人間の形をとった・ちゃんでもあります。ゆえに、単推し即「箱」(=ドッツというグループ)推し!そして今さっき確認したように・ちゃんは他の東京のあらゆる女の子たちでもあるのです。ゆえに、単推し即「箱」(=東京の女の子全員)推し!それだけではありません。1つ目のところで見たように、・ちゃんは都市のいたるところに溢れており、都市そのものでもあります。ゆえに、単推し即「箱」(=東京という都市)推し

 こうして目の前のある女の子を推すというごくありふれた出来事から始まって、連鎖するように箱の意味合いがどんどん変わっていって、最終的には都市を推すことにまで至る。これはまさに「都市の中にいる・ちゃん=Cage in Tokyo」を推すことが、その「箱」が指すものが「ある1人の・ちゃん⇒ドッツのメンバー全員⇒東京の女の子全員⇒東京という都市そのもの」へと変わっていくという過程を経て、「・ちゃんの中で体現されている都市そのもの=Tokyo in Cage」を推すということに反転しているのです。以上のような形で、ドッツの2ndシングルにかんして、1stシングルと同様に、そのコンセプトとの密接な関わりを指摘することができます。

 以上です。「アイドルと芸術」展では、・ちゃんの作品が今後も追加されていくようなので、まだ行ってない人、そしてもちろんすでに行ってる人もぜひ!(というか何回も行ける人がうらやましい…)

 

*1:もちろんこれほどまでに誰でもいいからこそ、でもやっぱり今私たちが目にしている人間の形をとった・ちゃんは彼女たちしかいないという事実が、必然性が、どうしようもなく露呈されてくるのです。