アイドル批評空間

アイドルについて書くときがあります

「女の子の東京」をつくろう

世界中の女の子憧れる都市は、決まっている。
パリ、ニューヨーク、ロンドン、東京
私はそれらの都市を、身に纏いたかった。
東京という都市の殻を、自分の身に。
そうするには、自分の身を、削って削って細く、邪魔にならないようにして、そっと都市の殻の中に挿し入れるしかないと思っていた。 その殻を纏えば、自分はこれまでとは違う自分になれる。洗練された人になれると信じていたし、全身で「東京の人」になろうとしていた。
それは、自分のかたちを削っていく作業によく似ていた。
悪目立ちするのは田舎者っぽいから、場に溶け込むように、浮かないように。自分の知らない都会の、見えないルールから外れないように。大声を出さないように、感情をむきだしにしないように。 

こういうのが「東京の女の子」なのだと思うかたちに、自分を近づけていくのは、楽しいとか苦しいとかではなく、そうすべき義務のようだった。「東京の女の子」になるために東京に来たのだから。(『東京を生きる』51-52頁)

 

 憧れの都市、東京。女の子はそこで、東京という都市を、その殻を、身に纏う。そうしてその殻のなかに自分を押し入れ、自分を削り、「東京の女の子」になる。そんなとき、「東京の女の子」たちに誰かが呼びかける。アイドルになろう。「女の子の東京」をつくろう。

 「東京の女の子」たちは、アイドルとして、大声を出し、感情をむきだしにし始める。そして、憧れの女の子=アイドルになっていく。もう女の子は東京に憧れているだけの存在ではない。むしろたくさんの人が女の子に憧れている。

 女の子たちはさらに都市への反撃を開始する。女の子たちはどんどん都市をハックしていく。ひとは、都市のそこらじゅうに女の子の存在感を読み取る。かつては憧れの都市を身に纏っていて自分を押し殺していた女の子たち。彼女たちが、今度は憧れの対象になって、いろんな人たちがその女の子たちを身に纏うことになる。そして憧れの女の子=アイドルは、いつの日か憧れの都市=東京と重なりあう(女の子=東京)。私的な思いやりと公共的な思いやりとが直結するだろう。

 「女の子の東京」をつくろう。誰かがそう言ったとき、「の」の用法は、所有格でも連体修飾格でもなく、主格(=「が」)だった。繰り返す。「女の子の東京=女の子が東京」をつくろう。