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SMAP解散の必然性~太田省一『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』書評~

はじめに

 先日、松谷創一郎SMAPはなぜ解散したのか』を読んだ。この本を通じて、事実関係の整理をすることができたのだが、同時にその結論に対して少し物足りなさも感じた。その結論とは、人情のぶつかり合い、というものだった。つまり、SMAPのマネージャーに対する人情を選ぶのか、ジャニーズ事務所に対する人情を選ぶのかという人情のぶつかり合いこそが今回の解散の真相である、と。確かにそうなのかもしれない。しかしこれはやはり事実を確認しているだけのような気がした。いやそれだけでも十分有益な本であることは間違いないのであろうが、今回の解散に関してもう少し深く考えてみることはできないものか。

 そんな時、太田省一『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』を手に取った。この本はタイトルにSMAPという言葉が含まれているわけでもない。しかしそこでは、SMAPが解散に至ったある種の必然性が示されているように思えた。少なくとも私にはそうとしか読めなかった。SMAPジャニーズ事務所の中で、あるズレを生み出していったのではないか。何に対しての?もちろんジャニーズ事務所の思想、すなわちジャニー喜多川の思想に対してのズレだ。このズレを『ジャニーズの正体』に記述を辿りながら見極めていくことで、SMAP解散の必然性が明らかになるはずだ。

ブリコラージュとしてのジャニーズ流エンターテインメント

 ジャニーズ事務所に所属するアイドルの活躍ぶりは周知のとおりだ。それをどう受け止めるのかはともかくとして、この事実は揺るがない。こうした活躍の要因は様々に考えることが可能であろうが、『ジャニーズの正体』で指摘されている「ブリコラージュ」性にここでは注目したい。これはジャニーズの「なんでもあり」なエンターテインメントを可能にしているからだ。ところで「ブリコラージュ」とは何なのか。まずは引用から始めよう。

手元にある既存の道具や素材を使いながら、そこから全く新しい意味を持ったなにかを創造する行為、それがブリコラージュである。(97頁)

ではこのブリコラージュという考え方は、ジャニーズにおいてどのような役割を果たしているのか。引用を続ける。

ジャニー喜多川は、成長のためにジャニーズの少年たちをグループやユニットという新しい環境に放り込みつつ、一人ひとりにブリコラージュ的な創意工夫を求めているのではあるまいか。ブリコラージュの英訳は〝do-it-yourself〟である。 つまり、「あなたが自分でやりなさい」、ジャニー話法で言えば、「ユー、やっちゃいなよ」ということだ。(97‐98頁)

 こうしたブリコラージュという発想は、ジャニーズアイドルが自分の個性や自我を十分に強調するための下地になっていると同時に、ジャニーズの舞台や楽曲における「なんでもあり」の世界を実現する要因でもあるだろう。

 しかし、ここでそれ以上に注目しておきたいのは、このブリコラージュが、「成長」という考え方とセットになっているということだ。著者によれば、戦後的な人物であるジャニー喜多川は、この成長を重視しているという。ここからは、成長という考え方を若さという言葉と絡めながら確認していく。

成長、あるいは「若さ至上主義」

 戦後はまさに成長を、そして若さを求めてきたと著者は言う。そしてジャニー喜多川は、そうした戦後的価値を体現しているとも。複数引用しておく。

敗戦から始まった戦後日本は、社会自体がいつも「若さ」を求めてきた。焼け野原からの復興が当面の目標となった敗戦直後の日本は、文字通り国民が一丸となり、通常の生活を取り戻すことに全精力を注いだ。そこには、社会全体に若いエネルギーがみなぎっていた。その結果、奇跡とも呼ばれる高度経済成長が達成され、誰もが夢見た豊かな生活が現実のものになった。その時点において国民は、なんの疑いもなく右肩上がりの未来を描くことができた。(中略)ほとんどの国民がよりよい未来を信じられること、つまり自分はまだ若いのだと思っていられるということでもあった。(172‐173頁)

「戦後」を特徴づけてきた〝若さ至上主義〟は、すっかり私たちの生き方や考え方のなかに染みついているように思える。それは、戦後日本をかたちづくる最大の価値観の一つと言えるだろう。ジャニー喜多川は、その意味においてまさに「戦後」的な人である。「若さ」は彼を語るうえでの欠かせないキーワードだ。(173頁)

 以上の引用に私が付け加えることは恐らくない。整理だけしておけば、ジャニー喜多川は戦後的な考え方を、すなわち、成長あるいは若さ=成長の余地がまだある状態にこそ価値を見出すような考えを持っている。そして、こうした考えがあってこそ、彼はジャニーズのアイドルたちにブリコラージュ的実践を促すことにもなるのだ。もちろんSMAPのメンバーたちにもそうした実践が推奨されることになる。成長するために。いつまでも「若く」あるために。しかし、SMAPの実践とジャニー喜多川の思想との間には、ズレが生じてくることになる。それは、時代の変化が要請したものであっただろう。最後に、こうしたズレが生じてくる過程を、簡単に辿っておくことにしよう。

戦後と平成、あるいは成長と成熟

 SMAPがテレビによって、とりわけバラエティ番組での活躍によってその人気を高めていったということはよく知られている。SMAPのデビューした時期に、相次いで音楽番組が終了したことがこうした戦略を生んだのだ。SMAPのメンバーは、ブリコラージュという考え方が可能にしたジャニーズの「なんでもあり」の精神を発揮し、見事にバラエティーで成功を収めた。この成功こそが、その後のメンバー個々人のドラマでの活躍を含めた、「国民的」アイドルへの道を用意したと言っていい。

 しかし彼らが国民的アイドルとなったとき、時代はすでに平成となっていた。バブルは崩壊しており、95年には阪神・淡路大震災が起きる。そんな「不安の時代」におけるのSMAPの振る舞いとは、いかなるものであったのか。

SMAPが社会に関わろうとしてきたのはテレビを通してであったということである。おそらく最初は、そこまで自分たちの社会的役割を意識していたわけではないだろう。だが、社会の側がSMAPという存在を求めるとともに、彼らの意識も徐々にはっきりとしたものになっていったように思われる。(中略)その根底には、繰り返すように平成という時代が抱え込んだ「漠然とした不安」がある。そのなかで、バラエティを中心とした「なんでもあり」のエンターテインメント、ジャニーズの基本でもあるブリコラージュ的エンターテインメントを通じて、ずっと途切れることなく希望を感じさせ続けてくれたのが、他ならぬSMAPであった。(165頁)

こうした時代において、彼らが与えてくれた「希望」。それは、戦後のそれとは異なり、成長とはあまりかかわりのないものであった。

SMAPは、そうした時代〔=平成〕に登場し、「ふるさと」が再構築できるのではないかという希望を与えてくれた。ただしその「ふるさと」は、昭和のように右肩上がりの成長のみを目指すためのものではなく、成熟したコミュニティを模索するようなものになっていた。「テレビ」という人々の日常のなかに存在するメディアにおいては、「舞台」よりもより現実に即したものが求められたからである。(180頁)

「成長」から「成熟」へ。成熟においては当然「いかにうまく年を取るか」ということが問題になる以上、若さを重視する成長という考え方とは折り合いがつかないというのは明らかだろう。こうした意味で著者は、SMAPジャニー喜多川との間に「潜在的に対立する部分があった」と指摘する。そしてこのズレこそが、今回の解散を準備するものの一つであったのではないだろうか。

 しかし、これは別にズレが生じたことを非難しているわけではない。そもそもこのズレは時代の変化によって生じたのだ。だからこのズレはむしろ、ジャニーズの基本であるとされたブリコラージュ的思考が時代の変化に見事に対応したということを意味しているはずだ。つまり、SMAPジャニー喜多川の思想に従って時代の変化に対応していった結果、ジャニー喜多川の思想と容易に相容れることのできない存在になったのだ。もちろんこれは喜ぶべき事態だったはずだ。SMAPはジャニーズの「なんでもあり」の精神を体現していたのだ。しかし彼らは解散した。むろんそのことでその精神が直ちに消滅するわけではない。そうだとしても、その精神をもっとも良く体現していたと言えるSMAPジャニーズ事務所を去ってしまった。時代はさらに移り行く。この変化にどう対応していくのか。今正念場に立たされているのは、「元」SMAPの5人以上に、彼らがいなくなったジャニーズ事務所のほうではないのか。