アイドル批評空間

アイドルについて少し掘り下げて考えるブログ

ESPECIAが解散を発表しました

第2章に入ってから1年と経たないうちにESPECIAの解散が発表されました。

まず始めに明かしておかなければならないのは、第2章になってから自分が1度もESPECIAの現場に行っていないということ。以下思い付くまま書きますが、あくまでライブに行かなかった奴の言い訳でしかないという部分が少なくありません。

私がライブに行っていれば、彼女たちは解散せずに済んだのでしょうか。もちろんそんなことはない。私一人がライブに行ったくらいで何かが変わったとは思えない。でも、やっぱり行かなかった。その事実はいま私に重くのしかかってきています。

行こうと思えば行けたのです。でも行かなかった。それはESPECIAの解散に対して決定的なことではなかったにせよ、行くほうがよかったに決まっているということは揺るぎない事実です。

しかし考えてみれば、このようにして私たちは、知っているか知らないかにかかわらず、様々なアイドルを少しずつしかし着実に解散へと日々追い込んでいっているのでしょう。有限な私たちがアイドルに対してできることなど限られています。例えばあるアイドルの現場に行くという選択は、その他のあらゆるアイドルの現場に行かないということも同時に意味しているはずです。

もちろんアイドルの数がそもそも多すぎるだけなのかもしれません。だからといって、自分たちの好きなグループが消えていくのを黙って見ていろというのですか。しかもあらゆる解散は、たとえ自分が知らなかったグループの解散であるにしても、先ほど述べたような意味では、全てのアイドルオタクに何らかの責任があるはずなのです。この無限の責任に有限なオタクたちはどう向き合うべきなのか。

色々な方策を考えることはできると思いますが、私は自分のさらには他人の有限性をまず認めておくしかないと思います。その上で無限の責任が存在することも忘れないようにしておく。とても無難な結論になってしまっていますが、やはりこれしかないと思います。

とはいえ、これだけでは具体性に欠けるのでもう少し詰めておきます。というのも、やっぱり人間は有限なんだから結局無限の責任を意識したところでどうなるんだと言えそうだからです。

繰り返しますが人間は有限です。1日に行くことができる現場は限られているし、買うことのできるCDの枚数もやはり限られる。でも、人間には言葉があります。無限ではないにせよ言葉は、書いた当人が寝ている間でも誰かがそれを読むことができるし、作者の思いもよらないとことにまで、見ず知らずの人たちのところにまで(誤解される恐れはあるにせよ)届いていくということもあります。

そしてこの言葉は、アイドルが好きだと言う人を増やすことに貢献しうるようなものであるべきです。アイドルに興味のない人たちにも訴えるなにかを持つ言葉であるべきです。そのためには、アイドルをある程度外から眺めた上で言葉を発する必要があるかもしれませんし、 ただひたすらに自分がアイドルというものを愛しているということを伝えようとするものであってもいいかもしれません。とにかくこうした言葉を生み出していくことは、とても大切でしょう。もしアイドルが多すぎるのだとすれば、このようにしてアイドルオタクを増やすしかありません。

思えばこのブログはEspecia第1章の終わりと共に書き始めたのでした。そうだとすればなおさら、第2章が終わるとしても書くことを止めてはならない。むしろより一層書かねばならない。少なくともこれが私にとってのESPECIAに対する責任の取り方です(完全に責任を取ることはもちろんできませんが)。

 

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