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アイドル批評空間

アイドルについて少し掘り下げて考えるブログ

改めてアイドル批評の必要性について~『ゲンロン4』を手掛かりに~

アイドル批評

 このブログを始めてからもう少しで一年が経とうとしていますが、最初のブログのタイトルは「アイドル批評とは何か」でした。新年だから、というわけではないのですが、このあたりで改めてなぜアイドル批評が必要だと考えるのかを書いておきます。ここでは、先日読んだ『ゲンロン4』における議論を手掛かりにして考えていきます。

 『ゲンロン4』の特集は「現代日本の批評Ⅲ」と題されていて、具体的には2001年から2016年までの日本の批評について振り返っていくという内容になっています。対象となる年代からも推測できますが、アイドル批評(オタク系批評)に対する言及も見受けられます。まずは基調報告である佐々木敦「ニッポンの文化左翼――ストーリーを続けよう?」から、オタク系批評に触れている箇所を引いておきます。アイドルが少しでも好きな人なら何度でも読んで心に刻み込んでおいてほしい部分ですので、少し長めに引いておきます。

オタク系(とりわけアイドル)の消費者のマジョリティが「批評(的なるもの)」を求めなくなったことは事実だろう。しかし 個人の営為としては、今も「オタク系批評」は成立し得るし、どこかでやられてはいる。問題は、それが影響力を持たないこと、批評対象を愛でる趣味的共同体の内部にも、批評対象及び当該ジャンルの外部にいる多数の他者たちにも、つまり「内」にも「外」にも訴えかけることが出来ないということなのではないか。いまや承認欲求も陣地拡大も放棄し、皆して嬉々として「現場に閉じこもるテン年代型のオタクたちは、本質的に「外から目線」である「批評」を意識的/無意識的に排除することによって、絶望的なまでに幸福な「閉じこもり」を、より強固なものにしているかに見える。(『ゲンロン4』、104頁)

以上に加えて、共同討議「平成批評の諸問題2001‐2016」のさやわかの発言も引いておきます。

仮に今アイドル批評が盛り上がっているのだとしたら、それはだれもが即物的に「この子かわいい」と語れてしまうからかもしれない。これまでの批評以上に、好きか嫌いかで語れてしまい、そしてそれでいいという空気がある。(『ゲンロン4』、144頁)

  この二つの引用箇所を踏まえて進めていきます。まず現在のアイドル批評の問題は、やはり「好きか嫌いか」で話が終わるという点にあるでしょう。当然そうした批評は、「影響力を持たない」ことになる。なぜならば、アイドルに興味のない人からすれば、「そうですか、あなたはアイドルが好きなんですね」としか思えないからです。また、アイドルオタクそれぞれの好みも異なっている以上、「好きか嫌いか」に終始する批評(と名の付いたもの)は、結局アイドルオタクの共同体内部においても限られた影響力しか持つことができないでしょう。

 こうした批評に佐々木が対置するのは、「外から目線」の「批評」です。これはアイドルを異なるジャンルの視点から考察するとかいうことでは恐らくなくて、アイドルそのものを、個々のアイドルグループに対する好き嫌いを一旦括弧に入れた上で論じる、ということでしょう。

 考えてみれば、世の中には様々なアイドルについての語りが存在していますが、果たしてこうした意味での「外から目線」の語りはどれだけ存在しているでしょうか。ほとんどないと言っていいでしょう。自分は「外から目線」の批評ができているなどと言うつもりは毛頭ありませんが、それにしてもここで述べてきた意味のアイドル批評を試みようとしている人の数はあまりにも少ないように思えてなりません。

 そしてこうした「外から目線」の欠如こそ、時折マスコミ等の報道で露呈されるアイドルに対する根強い誤解や偏見を、いつまでも無くすことができないことの一因ではないでしょうか。こうした誤解や偏見にただ腹を立てるだけではなくて、そうした事態がなぜ生じてくるのかを「外から目線」で考えている人がどれくらいいるでしょうか。ここでは、詳細に議論を展開することは控えておきますが、こうした誤解や偏見が未だに存在している理由を大まかに述べておきます。

 なぜアイドルに対する誤解や偏見が拭えないのか。それは、アイドルがどこか低級なものとして見られているからでしょう。しかしそれは何と比べて低級なのか。ここもおおざっぱに言っておけば、アーティストと比べて低級だ、ということになるでしょう(アイドルに対して頻繁になされる批判の一つとして、口パク批判などの「実力不足」が挙げられることを考えてみればいいかと思います)。つまり、アーティストが上でアイドルが下という階層構造があるということです。

 ではこの階層構造に対してどのように抵抗していけばいいのか。まず言えるのは、「アイドルだってアーティスト」式の称揚の仕方(「アイドルを超えたアイドル」、「アイドルらしからぬアイドル」、「もはやアイドルではないアイドル」)は、逆効果だということです。なぜなら、ここではアイドルに対するアーティストの優位が全く揺らいでいないからです。こんなことを言うくらいなら、初めからアイドルなどやらずにアーティストをやろうとすればいいはずです(アーティストのほうが優れているのだから)。

 とはいえ、アイドルも歌手である以上は、アーティストたちがやっている音楽と無関係であるということは不可能であって、そこを見て見ぬふりしてむやみやたらにアイドルの特異性だけを持ち上げるというのも行き過ぎたやり方でしょう。また、現にアーティスト優位の見方が広く受け入れられているように思われる現状を踏まえれば、そうしたやり方がアイドルオタク以外に対する訴求力を持ちうるとも考えにくい。要するに、戦略としては理想主義的すぎて、袋小路に陥る可能性が非常に高いように思えるのです。

 こうなれば、残された道は一つしかないように思われます。すなわち、アーティストからの影響は認める。アーティストたちが切り拓いてきた様々な音楽のジャンルをアイドルは取り入れているのだから当然のことです。しかし、アイドルはそれらを元の文脈とは関係なしに好き勝手に使う。何なら、勝手に新しい使い方・楽しみ方を生み出しもします。こうしたことに加えて、音楽以外の面でもアイドルなら色んなことをやることができます。一夫多妻のグループだって作れてしまう。こうしているうちに、何かとてつもないことがアイドルにおいて起きることがあるのです。

 以上は議論のあらすじに過ぎません。いずれもう少しまとまった文章を書いて、何らかの形で公開できればいいと思っています。