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アイドル批評空間

アイドルについて少し掘り下げて考えるブログ

アイドル言説における否定 ~アイドル批評とドゥルーズ哲学との出会いのための試論~

 『アイドル論の教科書』*1という本を読んだので、書評を書こうと考えていたのですが、他に書きたいことが出てきてしまいました。そこで、この本の一部を取り上げた上で、そこから想像力を逞しくして自分なりの議論を展開するという形で進めようと思います。

 ただその前に『アイドル論の教科書』という本について一言。「教科書」とありますが、これは別に知識を読者に与えてくれるようなものではない。そうではなくて、アイドルを論じる際の切り口を、筆者たちが見せてくれるというものなのです。つまり、この本の切り口を各人が特に興味のある事象に適用するという仕方で、応用することができる。これほど教育的配慮の行き届いた「教科書」はそうそうないのではないでしょうか。記事で取り上げているくらいなので当然ではあるのですが、買って損はないと思います。

 では、本題に入りましょう。今回取り上げるのは、第五講「アイドルの“数学”を学ぶ」の一部です。まず長くなりますが引用しておきます。

数学は論理的整合性を重視する学問である。もちろん高校で学ぶそれも、十分に論理的整合性を求められることになるし、その論理構造は一定の「完全性」をもって安定と評価されている。つまりアイドルは、この「完全性」と親和できないのである。いってみれば「論理破綻」から生まれる「不完全性」、あるいはその「不完全性」からさらに生まれる「論理破綻」の肯定、その反復によって起こる時空の歪みに、アイドルの魅力ははじめて現れるのである。 (118頁)

 前後の議論の文脈をここで追うことはしませんが、筆者はここで、数学の「裏返し」としてアイドルを捉えるということをしている。そう、「裏返し」であり、「完全性」であり、「論理破綻」=論理なのです。ここでアイドルは、「完全性」を有するものの「裏返し」=否定として捉えられている。私が特に興味を抱くのは、議論の内容ではなく、ここでの語られ方です。

 「もはやアイドルではない」あるいは「アイドルを超えたアイドル」。考えてみればこれらも同じことです。これらは同義と見なせますから、ここでもやはり否定です。アイドルを語る様々な言葉たちの内に、かなりの頻度でこうした否定を見出すことができると思います。

 もちろん、他のアイドルを否定する形で自分が推しているアイドルを持ち上げるという身振りが糾弾されることは、よくあるように思えますし、全くその通りでもあるとも思います。しかし私たちは、アイドルそのものを語る際に、この否定にどこまで敏感であることができているでしょうか。

 こうした状況に思いを馳せるとき、どうしてもドゥルーズ*2のことを考えてしまう。彼であれば、アイドルについての言説の現状に、静かな怒りを覚えてくれるのではないかと夢想してしまうのです。

 したがってここからは、ドゥルーズ哲学の一部を少しだけ紹介することにします*3。AさんとBさんがいるとします。ある日、Aさんは交通事故で足を一本切断してしまう。この時、足の本数についてどのように語られるでしょうか。Bさんは当然「足が二本ある」ですが、Aさんについては、ついつい「足が一本ない」と考えがちです。ドゥルーズならば、次のように言うはずです。「Aさんは足が一本ないのではない、Aさんには足が一本ある、それだけだ」と。ここに否定は無いのです。AさんとBさんとの間の差異だけがあるのです。

 どうでしょうか。先ほどのアイドルの語り方にかんする話に、当てはまってはいないでしょうか。だから、ドゥルーズに倣って次のように言いたいのです。差異を否定によって捉えるのではなく、それを肯定すべきだと。ここから、ではどうやって肯定するのかという議論、すなわち、アイドルの「それ自身における差異」についての議論へと移ることができますが、それは以前論じたのでここではやめておきます。とにかくこの文章によって、アイドルを論じながら私がドゥルーズとか言い出すことの理由を少しでも伝えることができていればと思います。

 なお、アイドルにおける「それ自身における差異」については、次の記事をご覧ください。

 


 

 

*1:塚田修一・松田聡平『アイドル論の教科書』青弓社、2016年

*2:20世紀フランスの哲学者。かつてはフーコーデリダとともに現代思想の三大巨頭としてもてはやされた。あの有名な『知の欺瞞』において取り上げられている人物の一人でもある。それゆえ、ひたすら難解なジャーゴンを振り回しているだけで何言ってるかわからない奴と見なされることもしばしばである。(余計な一言を付け加えておくと、『知の欺瞞』を読んだ、あるいはかじっただけで「ポストモダン」すべてを無価値だと断罪する人をしばしば見かけるが、こうした人は基本的に信用しないようにしている。『知の欺瞞』という書物は非常に優れたリトマス試験紙であると言える。この書物に対する態度を吟味することで、相手の「知の欺瞞」を見破ることができるのだから!)

*3:ここでの紹介は、自分で書いていて手が震えるくらいに単純化されたものです。それゆえ、私のことを信用できない方は、各自入門書などを手に取ってみてください。