アイドル批評空間

アイドルについて少し掘り下げて考えるブログ

9つの点は何を意味するのか ~レディメイドとしての「・・・・・・・・・」~

 先月取り上げたアイドル「・・・・・・・・・」について、ここではそのグループ名から考えていきたいと思います。以前の記事はこちら。

scarlet222.hatenablog.com

 さて、先月デビューした「・・・・・・・・・」ですが、この9つの点を何と読むかは決められていません。まだ決まっていないとかいうのでもなく、何と呼ぼうと自由なのだそうです。今回の記事では、この9つの点の一つの読み方を提示し、そこから議論を展開することにします。

 今から提案する読み方を私が思いついたきっかけは、小西康陽が1997年に設立したレーベルの名前でした。その名前とは、「********* records, tokyo」というもので、この「*********」は、「レディメイド」と読みます。

 点の形こそ違えど、なぜかどちらも点が9つ。ただの偶然にも思えます。しかし、ここではこれを偶然として流さずに、大真面目に捉えておきます。つまり、「・・・・・・・・・」を「レディメイド」と読むということです。

 もちろんこれだけではただのこじつけでしかないかもしれません。正直なところ、このこじつけが正しいかどうかにはあまり興味がないのですが、ともかくこのこじつけに魅力を感じる理由は書いておきます。この理由とは、「レディメイド」という言葉が「・・・・・・・・・」というアイドルの特徴をよく表している、というものです。

 ところで、「レディメイド」とはそもそも何でしょうか。まずはここから押さえておきたいと思います。Wikipediaから少し引用してみます。

 

芸術上の概念としてのレディ・メイドは1915年、マルセル・デュシャンによって生み出された。当初の目的とは違った使われ方をされた既製品、つまり芸術作品として展示された既製品をさしている。

 

デュシャンの名前が出てきていますが、彼の作品で有名なものとして「泉」という作品があります。これは、既製品の便器にデュシャンが偽名でサインをした作品です。この作品がいかなる意味で画期的なのかについては様々な語り方がなされてきましたが、ここでは次のように言っておきます。「泉」とは、作品そのもの(ここでは既製品の便器)ではなく、その示し方(普通はトイレにあるはずの便器を、美術館で展示しようとすること)にこそ新しさがある、と。

 「・・・・・・・・・」に戻りましょう。このアイドルのメンバーは全て「・」という名前になっています。メンバーのツイッターもありますが、9人の「・」が各々つぶやくので、当然誰が誰だかわかりません(本人たちにもわからないでしょう)。このことを踏まえれば、彼女たちはまさに「レディメイド」だと言えないでしょうか。既製品は同じものを大量生産することで生み出されるので、当然一つ一つのかけがえのなさといったものはなく、交換可能なものです。同様に、彼女たちもかなり交換可能性が高いと言えます。少なくともツイッター上では識別不可能ですし、ライブでもサングラスのようなものをかけているので、識別は容易ではないでしょう*1

 こうした事態は以前から進行していたとも言えます。例えばBiSは、メンバー個々の能力などよりもメンバーたちをどのように世間に見せていくかのほうに重きが置かれていると思いますし、過去にメンバーは何人も入れ替わりました。とはいえ、「・・・・・・・・・」ほど極端なアイドルは、私の知る限りでは今まで無かったように思います。

 当然、人間を既製品と見なすことに反発を覚える人もいるかもしれません。人間を物呼ばわりするとは何だ、人間は一人ひとりかけがえのないものだ、というように。人間を物呼ばわりすることを非難してしまえば物に対して失礼な気もしますがそれはさておき、ここではひとまず資本主義において、私たち人間は「人材」であって、いくらでも代わりのきく存在でしかない、とだけ言っておきます。

 少し話がそれましたが、ここまで確認してきたことを踏まえれば、「・・・・・・・・・」を「レディメイド」と読むことはそれほどおかしなことではないと、少しは思って頂けるのではないでしょうか。そして、ここで興味深いのは、メンバーを交換可能なもの、識別不可能なものとして、つまりは「レディメイド」として示すその身振りそのものが新しいということではないでしょうか。さらにそこでは、人間の既製品的な面をさらに推し進めて誇張することで、そもそも誰もが多少は既製品のようなものでしかないという面が示されると言えるかもしれません。ただ、大事なことなので本題から逸れるのを覚悟で言っておきますが、それでもやっぱり人はだれかをかけがえのないものだと結構な頻度で考えてしまいます(その相手はアイドルであったり恋人であったりするでしょう)。誰もが代わりのきく存在でしかないにもかかわらず生じ、それゆえに逆説的に際立つかけがえのなさ。それは錯覚でしかないのかもしれませんが、私たちはこの錯覚を手放すことは決してないでしょう。

*1:もちろんライブに何度も通って注意深く観察していれば、当然次第に一人一人を識別できるようになるとは思いますが。