アイドル批評空間

アイドルについて少し掘り下げて考えるブログ

【第5回】日本の音楽においてアイドルが果たしている機能について

――今回は日本の音楽におけるアイドルの機能についてですね。かなり話が大きくなっきました。

 

そうですね。今回のテーマについて考えていくためには、まず音楽そのものについて少しお話ししなければなりません。

 

――それはどういったことでしょうか?

 

簡単に言えば、音楽とは西洋のもの、とりわけアメリカのものだということです。現在私たちが音楽であると認識しているものは、外からやってきたものですよね。これは楽曲そのものだけではなくて、音楽を作る仕組みとか販売の仕方とかそもそも音楽で商売をするということ自体など、いわば制度としての音楽というもの全体のことです。そして、このことを踏まえて、戦後の日本の音楽の歴史を、内と外との関係、要するに日本とアメリカを中心とする西洋との関係という観点から捉えることができるかと思います。もちろんこのように考えたとき、音楽は外からもたらされたものなので、内は外に対してどうしても遅れをとらざるを得ません。

 

――それはその通りだと思いますけど、特別珍しい考え方というわけでもないですよね?

 

もちろんそうです。ですが、ここではまず内と外との関係から日本の音楽を考えることができるということに注目しておきたいのです。で、実際にそういった試みは存在していて、以前少し言及した佐々木敦さんの『ニッポンの音楽』〔注:講談社現代新書、2014年〕という本がまさにその一例です。この本では、70年代からゼロ年代まで年代ごとに内と外の関係が整理されていきます。最初は内に対する外が明確に意識されていたが、外に対する距離は近づいていき、ゼロ年代には内と外という区別がもはや意味をなさなくなったという流れです。ここでさらに注目したいことは、ゼロ年代あるいはそれ以降には、内と外という区別が意味をなさなくなったという主張です。半分ぐらいはその通りかなと思いますが、やはりもう半分は違うと言わざるを得ないかと思います。

 

――今時、洋楽に対するコンプレックスとかってかなりなくなってきているように思えるし、僕としてはその意見に同意したい気持ちが大きいですね…。

 

もちろんそういった傾向は大いにあると思いますよ。ただ、あるジャンルにおいては外に対する強い意識が、時折あらわになることがあります。

 

――そのジャンルがアイドルというわけですか。

 

おっしゃる通りです。例を出しましょう。少し古いですが、2013年の12月に、ASEANの首脳たちが集まった晩餐会でAKB48がパフォーマンスを行ったのですが、ネットを中心としてかなり否定的な反応が起こりました。要するに「日本の恥だ」的な反応ですね。違った反応もあったでしょうが、こうした恥ずかしいという反応が非常に多かった。しかし、ここで考えてみて欲しいのですが、恥ずかしいというのはどう考えても外からの視点を前提としているということです。他者がいなければ、恥という感情など生まれようがありません。この例からわかるように、アイドルは往々にして恥ずかしいジャンルだと言われることが多い。そして、その恥ずかしさは何らかの外を前提としたものなのです。

 

――AKBの例なら、前提されている外とはまさしく外国なので、この場合の外は西洋だと言えないこともないかもしれませんけど、日常的な場面でアイドルについて恥ずかしさが語られるときに、わざわざ西洋や洋楽といった外が前提されているようには思えませんが。

 

だから「何らかの外」と言いました。私としては、この外とは結局アーティストではないかと考えています。つまり、外と内の区別はほとんどなくなってきたが、それでも日本の内部で内と外が存続し、アーティストが外の役割を、アイドルが内の役割を担っている。この時、アーティストはアイドルという内が存在するおかげで、かつては絶対的に内に先行していた外たりうるのです。もちろんアーティストと呼ばれる人たちの楽曲と洋楽とが似ている、というようなことを言いたいのではありません。そうではなくて、内と外という対立構造において、両者は同じ位置を占めているということです。

 

――なるほど。ようやくアイドル/アーティストという二項対立を問題視する理由が見えてきた気がします。アイドルの美点をアーティスト的な要素を満たしていることとして語るのは、アーティストがいわばアイドルを犠牲にすることで外として成り立っているという状況を、知らず知らずのうちに容認するどころか強化してしまっているかもしれないのですね。

 

そういうことです。他のものと比べること自体は構わないと思うのですが、その他のものの優位を前提とした上で、それを引き合いに出して語るというのは、やはり容認しがたいものがあります。第1回のときに少し触れたアイドルの「割に合わなさ」というのは、以上のことを念頭に置いて言ったものです。

 

――こう考えてくると、やはりアイドルに批判的な人たちよりも、まず何よりもアイドルの運営やアイドルを好きな人たちの語りが重要になるという気がしてきますね。

 

なので、次回はEspeciaのアルバム「Primera」のライナーノーツを読んでいって、そこにはっきり表れているアイドル/アーティストという二項対立を確認していきます。その後は、改めてこうした状況に対する対抗戦術について考えていきたいと思います。

 

――わかりました。次回もまたお願いします。