読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アイドル批評空間

アイドルについて少し掘り下げて考えるブログ

【雑記】おやすみホログラムバスツアーに思うこと

 数日前に、おやすみホログラムのバスツアーで起きた様々な「騒動」の顛末が、ツイッター上を賑わせた。何のことだかわからない人は、まず各自でその詳細を調べてもらうとして、個人的にはこの一連の騒動には多いに笑わせてもらった。何よりも、ツアーの参加者たちが、次々と直面するありえない状況を逆手にとって笑いを誘うその「演出力」には、ただただ驚嘆せざるを得なかった。

 やはりこの一連の出来事で最も注目するべき点は、多くの人がすでに指摘していることであるが、今回の「騒動」は参加者たちのツイッター上での見事な発信がなければ、それは「騒動」たりえなかったということだろう。主催者側がどこまで想定していたのかはわからないが、それにしても今回の参加者たちの「演出」は、本当に見事だった。

 ここからさらに一歩踏み込んでみる。現在私たちが、少し気になるアイドルを見つけたとき、インターネット上にどんな情報を求めるだろうか。公式ホームページを見ることはもちろんあるだろうが、それだけではやはり物足りないだろう。プロフィールに載っている多少の情報では、何もわかっていないに等しい。メンバー個々のキャラクターやグループのそれまでの道のりなど、他に知りたいことは山のようにあるはずだ。それらのことを知るためには、他の情報源が必要だ。例えばそれはウィキペディアであったり、2ちゃんねるであったり、ファンのブログであったり、ユーチューブのコメント欄であったりするだろう。

 何が言いたいのか。つまりは次のようなことだ。おやすみホログラムのバスツアーにまつわる「騒動」についての盛り上がりが示しているように、今やあるアイドルについてのイメージや物語を作り出していくにあたって、受け手の側の影響が以前よりも格段に増加しているということだ。もちろん昔からこうした側面はあったのだろう。とはいえ、依然はテレビやラジオしかなかった。今はインターネットがある。何かをしたとき、ツイッターを見れば即座に反応を知ることができる。こうした反応を作り手の側がフィードバックして、今後の戦略の参考にすることもあるだろう。

 今回の「騒動」に関して言えば、作り手と受け手は完全に逆転していると言っていい。もちろんバスツアーが企画されていなければ「騒動」は生じなかっただろうが、あくまでも「騒動」を「演出」したのは、受け手である参加者たちであった。このように、今や作り手と受け手との間の境界は、かなり曖昧であるし、今後ますます曖昧になっていくかもしれない。

 こうした状況から、受け手たる私たちアイドルファンが心得ておくべきことは何だろうか。それは私からすれば、アイドルについて否定的に語らない、ということだ。アイドルを否定するなと言っているのではない。あるアイドルについて、肯定するにせよ否定するにせよ、「アイドルらしからぬ」などのような、否定的あるいは間接的な語り方をしないということだ。アイドルというジャンルそれ自体においての面白さやつまらなさを語るべきではないのか。

 付け加えておくならば、他のアイドルを引き合いに出して自分が応援するアイドルを称揚するなどという行為は、論外だろう。例えば、「48グループなんかとは違う」というわけだ。そして、結局最後には「アーティスト的」などというマジックワードを持ち出してくる。こんなことをしていて何になるのか。アイドルに興味のない人が、こうした意見を目にしたとき、いったいどのように感じるだろうか。

 アイドルファンがアイドルを作っていくということに、意識していようがしていまいがかなりの割合で参画している以上、アイドルファンにもこのことを意識した語りが求められるのではないか。アイドルをとりまく状況が変化している以上は、私たちも「来るべきアイドルファン」へとアップデートしていかなければならないのではないか。